6月1日「写真の日」に皆さまからお預かりしている大切な写真を供養するため、写真供養祭典を実施している神社のお焚き上げに参列してきました。
10時からの焼納の前に私たちも含めて20数名が拝殿内に上がり、すべての写真を集めて祈祷していただきました。厳粛な空気の中、祈祷が終わると、岡山県写真材料商組合連合会の方々や岡山県写真家協会の皆さんの先導で境内の一角に写真を山積みにし、宮司さんが清めのお酒を撒きました。そしていよいよ着火。数十万枚の写真が炎に包まれます。
お客様からお預かりし私たちが持ち込んだ写真はもちろん、他の参列者の方々の写真が燃える様子を眺めていると、写真の数だけそれぞれの人生のハイライトや思い出のシーンがあったんだ…とそんな思いが頭をよぎり、なんだか止まっていた時間が煙りになって空に消えていくように見えてきました。
お焚き上げに来られていた女性に話を伺うと「先月に母が亡くなり遺品整理をしていたら、写真が1,000枚ほど出てきて整理に困っていた。どうしてもそのまま廃棄はしたくなくて…お焚き上げができて本当に良かった。」とおしゃっていました。
また別の方は「昨年お焚き上げをしたけど、やっぱり思い出は簡単には捨てられないもの…。特にヒトの姿が写っている写真は捨てがたい。今年は昨年と違って見学に来ました。」と話してくれました。お焚き上げを体験された当事者として、一年経って何かを確かめに来られていたのかも知れません。
“写真は家族の宝物”と言いますが、それは今の家族だけではなく、未来の家族にとってはより一層掛け替えのない宝物になることでしょう。
今回のお焚き上げを通じて、ルーツの証しであり、思い出の貴重な記録である写真に思いを馳せることは、過去へのリスペクトであることを改めて感じました。
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